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西村佳哲。リビングワールド・代表。ときどき作文。

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センスウェア

NISH (Living World) 2007-05-12

創造という言葉は、なにかをつくり出すとか生み出すことと、セットで考えられることが多い。でも創造的であるって、なにかを「つくること」なんだろうか?

プロダクティブであることと、クリエイティブであることは、まったく異なることだと僕らは思う。

小説にしてもデザインにしても、人を感動させる表現のもとをたどれば、それを生み出したつくり手自身の感動、心が動いた瞬間、あたり前だったものがあたり前で済まなくなった瞬間にたどりつく。
いままで見えていなかったものが、見えるようになるとき。聴こえていなかった音が、耳に響きはじめるとき。こうした体験は、大きな喜びをともなう。
いったい私たちは、そのなにが嬉しいのかな。

ある島での旅の最中、海岸に車を停めて夕焼けを眺めていたら、離れたところにも、同じような人々が沢山いることに気づいた。
とくに話を交わすわけでもなく、ある人は子どもと、ある人は犬と、ある人はひとりで、水平線にしずんでゆく夕陽を一緒に眺めている。
そして日が完全に沈むと、みな少しづつ、どこかへ帰っていった。

こうした静かで満ち足りた時間に出会うたび、創造性ってなんだろうと思うんです。
なにかをつくっているとか、独創的であるといったことは、あきらかに問題外だ。夕陽にこころを奪われている人はなにもつくっていない。けど、その内面は十分に創造的なのでは?
 

世の中には、誰かがつくった素晴らしいものが沢山ある。映画であったり、洋服であったり、音楽であったり。かけがえのないモノは多々ある。
だけど、たとえば感性豊かなモノが増えることより、感性の豊かな人間が増えることの方が、よほど素晴らしくて価値のあることだ。美しいモノが増えることより、日常の中に美しさを見いだせる人、美しさに心をひらく人が多い方が、素敵ではないかなあ。

人間の大仕事のひとつは、世界を感じること。そして、その中で生きている自分に気づくことにある。「生きていること」を感じるために生きている、といったら言い過ぎだろうか。

生き生きとした…という言葉には、「生」が二度登場する。御飯をたべて、動いて、呼吸していれば生きているというわけじゃあない。
ただ生きているような日常の中で、さらにもう一度生きる、あるいは生まれ直す。そういう瞬間を、「生き生き」という言葉で私たちは捉える。
 

素晴らしいことや、かけがえのないことは、私たちのまわりにたくさんある。既にある。それに気づいていたい。世界と共感的に生きるために、なにができるだろう。僕らはデザインを、そっちの方向に使ってみたい。

センスウェア(senseware)という言葉は「生きている世界を感じる道具」の総称として、約十年前、センソリウムというプロジェクトで考えた造語。(センソリウムは、2000年にオーストリアで「While you were…」というプロジェクトを公開した後、実質的な活動を休止している)

リビングワールドで僕らは、センスウェアの試作をかさねているんです。(LW)
 

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