SOLA・創刊号
SOUND HUNTHING/地球の音を感じるために

西村佳哲(1999年2月)


彼は同じ森の中で
なにを聴いているのか?

川崎義博さんと最初に出会ったのはいつだったか、もう忘れてしまったが、二度目に会ったのが屋久島の森の中だったことは、今でもよく憶えている。彼のフィールドレコーディングに一度同行したかった僕は、ある映像作品につける自然音の収録で屋久島に入っていた川崎さんを追いかけ、五日遅れで東京から到着したのだった。

森の入り口まで迎えに来てくれたガイドさんは、「川崎さんは沢沿いで音を拾っている」と言う。「音を拾う?」。彼の後について屋久杉の木立を奥に向かうと、やがて展望が開け、陽当たりのいい沢筋に出た。

屋久島の沢は岩のサイズが妙に大きい。その合間に、ヘッドフォンをかぶり、あちこちでしゃがみこんでは、小さなマイクを川面に近づけている川崎さんの姿が見えた。あたりは「ドーッ」という気持ちよい沢音に包まれている。時々近くで鳥の鳴く声が聴こえていた。


離れて立っている僕に気付いた川崎さんは、会釈をして手招きをする。「ちょっと聴いてみる?」。手渡されたヘッドフォンを耳にかけると、コップに注がれる水のように繊細な響きが耳をくすぐった。
『えっ!ここってこんな音が鳴っていたの?』。それまで聴こえていた大きな沢音とは、まるで違う。

「ドーッ」という沢音も、一つ一つの音に耳を寄せれば、それは段差を流れ落ちる水が奏でる小さな音の集まりだ。川崎さんは、昆虫博士の虫眼鏡のようにマイクを片手にしながら、大きな自然の中の小さな音を拾い集めていたのだった。これが最初のショック。


翌日、夜中から準備をして、朝を迎える森の音を録る川崎さんと一緒に山道を登った。苔におおわれた屋久島の森は、空から雪のように緑が降り積もった感じの世界。川崎さんはそんな森を歩きながら、時々立ち止まっては、ジッと目を閉じている。そして目が合うと、「ここいい音ですね」と話しかけてくるのだった。

ふつうの山登りなら、峠のように風景が大きくひらけた場所で、「絶景だなあ!」と立ち止まるものだ。深呼吸などしながら、遠くの山々に目をやって。しかし、川崎さんが立ち止まるところは、決して見晴らしのよい場所ではない。むしろその逆だった。
目に見えている風景と同じように、耳で観る音の風景もある。同じ森を一緒に歩きながらも、まったく違う経験世界を生きている人の存在に気付いたこと、これがふたつめのショックだった。


「自然の中に入って二三日すると、耳が大きく開いていくのを感じる」と、川崎さんは語った。
「普段の生活、特に都市生活の中で、僕らがどれだけ耳を閉じて生きていると思う?
  仕方のないことだと思うよ。だって、街はほんとうに音でパンパンだもの。日本は世界のどこよりも人工の音に満ちている。外国の人と食事をしていると、『なんでわざわざこんなところで音楽をかけるの?』って驚くよね。BGMのないレストランの方が、少ないくらいだ」。

世界を経験するチャンネルは人ぞれぞれで、八百屋に並ぶ野菜から感じる人もいれば、為替相場を通じて感じる人もいる。同様に、音を通じて、世界を感じている人もいるのだ。
川崎さんとの出会いは、目に偏った生活をあたりまえのように送っていた僕にとって、実に新鮮な驚きだった。


耳を大きくして
生きている世界を感じる

その後、僕は川崎さんと仕事をする機会に恵まれ、様々な音を探して国内を右往左往し、DATレコーダーを抱えて世界も一周した。ロンドンの地下鉄で家路にむかう人々の足音にマイクを傾け、アリゾナの平原では生まれてはじめて空が鳴る音を耳にした。

僕らはその仕事で、特にサンセットとサンライズの音を録って回った。夜と昼が交差する1〜2時間を、様々な場所で長回しのDATテープに収めていたのだ。


「音のない静寂な世界」という言葉は死を連想させる。生きているものはすべて何らかの音を出しているんだなあ、音があるっていうのは生命があるっていうことなんだなあと、サンライズの音を録っていると特に強く感じる。
ニューオリンズの街角や、ニューメキシコの木立の中で、夜の生き物たちの音がとぎれとぎれになり、昼の生き物が最初の鳴き声を上げようとする交代の瞬間、ほんの一瞬だがほとんど何の物音も聴こえない束の間がある(ような気がする)。そして、次の瞬間には新しい一日がはじまり、鳥が鳴き始め、やがて人々の音がそれにかぶさってくる。

私達の生きている世界では毎日いろんな出来事が起こっているが、こうした瞬間に気持ちを集中させて日々を過ごしていると、毎日はほんとうに同じような自然のくり返しでしかないことを強く感じる。そしてだからこそ尊いのだと思わずにはいられない。


川崎さんは僕との仕事以外にも、様々なフィールドレコーディングを重ねている。一年の大半を、自宅以外のどこかで音を録ったり聴いたりして過ごす。現在は東北・最上地方の自然に足を運びながら、土地固有の様々な音を、一年間かけてじっくりと収録している。
川崎さんいわく、「最近はどこに行っても、自動車と飛行機の音を避けるのが難しい」とのこと。音の側から世界を眺めてきた彼は、「いつまでも同じ音がそこに残っているとは限らないんだ」とよく口にする。

「河川工事が一度入れば、せせらぎの音もまったく変わってしまう。失われてしまうのは目に見える風景だけじゃない。川の音ひとつにも、その環境のすべてが含まれているんだ」。音をなくした時の喪失感は、目に見えるものがなくなった時より、深いものかもしれない。


自然音を録る人は他にもたくさんいるが、川崎さんの特徴は、彼いわく「その場所の記憶を録る」という点にある。録音に入る前に、そこがどんな場所であったか、どんな歴史が重ねられているか。こうしたことを、地図を広げ、本を読んで調べながら、さらに土地で出会った人にたずね、頭の中のスケッチを重ねていく。

「写真家の作業にも通じるものがあるんじゃないかな」「実際にその場にいくと、自分はここで一体何をしようとしているんだろう、何が出来るんだろうと問わずにはいられない。ただ音を収録して帰るのではなく、その土地が語ろうとしているなにかにジッと耳を澄まして、それが聴こえてくるところへカラダを寄せていく。そんな仕事をしているんです」。

こうして録られた彼の音を、多くの人が「風景がまるごと入っている」と形容する。川崎さんは以前、不思議なことを語っていた。
「音を聴こうと集中していると、そのうち『耳で聴く』という感覚が消えはじめて、モノを見たり触ったり嗅いだりするすべての感覚が、ひとつになったような状態になることがある。丸ごと感じているというか、周囲のすべてが等価で、自分もその中の一個であると思えてしまう瞬間があるんだよね」 と。

僕は音を聴くだけでここまで至ったことはないが、非常にしんどい山を登り切って地面に横になった時、あるいは歌を歌ったり踊ったりしてナチュラルなハイに至った時、周囲の世界と境目なく解け合った自分を感じることは、誰にでもあるのではないだろうか。
自分と外部の境界線が透明になって、いろんなものが自分の中を通り抜けていく。とはいえ、黙って座って音を聴くことでそこまで行けるというのは、やはり「聴く」才能のレベルが違うのだろう。


本来耳は、目と違って閉じることのできない感覚だ。視覚の特性が取捨選択にあるとしたら、聴覚の特徴は受容にある。
ベートーヴェンが、散策の途中で聴こえてくる森の音から楽曲を書き上げていった例を出すまでもなく、よく耳の開いた人にとって、自然の音はそのまま音楽と等価だ。

僕は川崎さんとの録音行脚を終えて家に帰ってから一年以上もの間、CDなどの音楽を聴く気にほとんどなれなかった。
もちろん音楽は好きなのだけど、わざわざ聴く気にならなかったのだ。音楽をかけなくても、家の回りにいろんな音が溢れているのだから。僕の耳は鳥や虫の鳴き声をよりよく受けとめるように、実にうまくチューニングされていて、耳に入るものはそれで十分だったのである。

音楽が「音を楽しむ」という文字で表現されていることに気付いたのも、ちょうどこの時期だ。これは、音楽教育の世界ではきわめて重要な真実であり、ある人は「聴くことが音楽だ」とさえ言う。
楽器の演奏能力をいかに高めたところで、音の響きを聞き分ける耳と感性を持っていなかったら、演奏者はその先の階段を一段ものぼることができない。私達がつくり出すものは、それぞれが感じた世界の豊かさと貧しさをそのまま反映している。感じる力こそ、そのあとの表現を左右する重要な能力なのだ。

朝、テントの中で目を覚ました時、耳は外の世界のすべてを捉えようと拡がっていく。雨は降っていないか。風はどうか。森はどんな時間か。今そばで聴こえた物音はどんな生き物が立てた音なのか。

顔つきが生き生きとしてくるのは、単に仕事や都会を離れたからではない。生きていることの喜びの大半は、感じることの中にある。そして音は、その最も大きな、しかしあまり意識されないチャンネルのひとつだ。自然の中へ出かける時は、視覚に偏りがちな五感を、少し音寄りにチューニングしてみよう。◆



おまけ:
音を録りに自然の懐に入る

カメラではなく、マイクとレコーダーを持って野山へ出かけると、風景がまるで違って見えてくる。歩く速度や呼吸の深さも変わる気さえする。マイクで周囲の音を聴いてみると、それまで聴こえていなかった音がたくさん聴こえてくるから不思議だ。

音の魅力の一つは、その場所を丸ごと持ち帰れる点にある。カメラにはレンズの画角があるが、マイクは多少の指向性があるにせよ、基本的には360度上下左右のあらゆる音を、そのまま記録することができるのだから。生録と言えば一昔前はソニーのデンスケだったが、現在はDATやMDなど、高性能かつ小型軽量でバッテリーの持ちも良く、まさにフィールド向きの録音機器がたくさん発売されている。

こうしたデジタル機器にはヒスノイズもないので、いいマイクさえ付ければ誰でもかなりの音質で音を録ることができる。入力レベルの調整などは録りながらおぼえていくしかないが、マイクの位置を数センチ前後にずらすだけで、音は大きく変化することを忘れてはいけない。ちょっとした距離の取り方で音圧は変化するし、音がミックスされている状態も変わってくる。
「音を取り始める前に、自分のカラダを動かして、丹念に音を聴いてみることが大事」と川崎氏。

ところでマイクの最大の敵は、なんと言っても風。出来合いの風防も悪くないが、手持ちのスポンジやフリースを工夫して使ってみるのも良いだろう。ちなみに川崎さんはいろいろ試した結果、自分のマフラーが最適であることを発見。しばらくは、暖の目的も兼ねて持ち歩いていたが、現在はマイク専用の風防として活躍しているそうだ。

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よりよく音を聴くコツは、「目を閉じる」ことに尽きる。
どんな場所でも、ほんの一分間目を閉じて小さな音や遠くの音に耳を開いてみると、それまで聴こえていなかった(聴こうとしていなかった)様々な音が聴こえてくる。

ネイチャーゲームのように、目隠しをして森の中を歩いてみるのも楽しいが(森の中の湿度や匂い、そして音の情報量が激増する)、個人的にはナイトハイク(夜間登山)がいい。山歩きの初心者にはあまりお薦めできないが、東京で言えば高尾山のようにハイキングコースの整備された山なら、地図にじっくりと目を通し、事前に一度同じコースを歩いておければまず問題ないだろう。
天候と十分に相談し、決して無理をしないこと。
そしてできるだけ少人数で登ることが、ナイトハイクの面白さを左右する重要なポイントだ。

夏場はシェラフを持参して、安全なところで眠っても気持ちいい。森の音が夜を通して刻々と変わっていく様子が楽しめるだろう。


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