書評(共同通信社)
→『杜氏という仕事』/藤田千恵子 著

西村佳哲(2004年2月)


数ある仕事の中でも、人が直に口にするものをつくることは、最もごまかしの効かない仕事の一つだろう。手をかけ心をかけたことの全てが仕上がりに反映し、つくり手の仕事ぶりが口元から全身にひろがる。どのような人のどんな働きを通じて、それが成されているのか。滋賀の酒蔵で「喜楽長」を醸す天保正一杜氏の仕事を、丁寧に追ったルポルタージュだ。

著者は大の日本酒好き。約二十年ほど酒蔵取材を重ねてきたが、一年間に渡って一人の杜氏を追うのはこれが初めて。取材は夏、能登半島にある天保氏のお宅からはじまる。杜氏や蔵人が冬場の季節労働者であり、そもそもは江戸後期に農閑期の出稼ぎとして始まった仕事であることを、自分は初めて知った。夏には畑仕事などを手がける者たちが、秋の終わりになると同じ蔵に集い、冬の間寝食をともにして酒をつくる。雇用主である蔵元と彼らの間にあるのは、契約ではなく信頼関係。酒屋に並ぶ地酒の大半は、この特殊な関係性の中から生まれている。

杜氏の世界では、五十代は若手、六十代が働き盛り、七十代にして熟練の域だという。彼らに求められるのは、官能、技術を合わせた総合力であり、時間をかけて物事に取組める心の有り様。そして何よりも人間性に重きがあるようだ。時間をかけて満足のゆく酒づくりを探り、急がずに人を育てる。たとえ親族の死があっても、酒造りの期間は蔵を離れないともいう。

そんな人々による希有な仕事の有り難さを、どう伝えればいいのか。三百年をこえる文化を継承し、さらに磨きをかける仕事の凄みは、言葉の解像度をこえる。杜氏による仕事場の統率には、わかりやすいマネージメント技法ではなく、自身の存在感や有り様を通じて行われる不定型なものも多い。これらを文章化した著者の苦労は想像に難くないが、端から見た仕事をロマンティックな視点で創作することなく、身の丈の言葉で素直に描き出している。それは天保杜氏が語る、健全さが一番大事なことという言葉にも、繋がっているのだろう。◆


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