夢中になる、ということ

12-04-17 西村佳哲

多摩美の新学期が始まり、今年だけ「編集」という授業に参画することになった。千原 航・東泉一郎と三人で、先週から13名の学生にかかわり始めている。

一方、某卒業生の薦めで、ある基礎教養の講義を聴講している。学生たちに混ざって。一橋大学卒の中村寛さんという若い文化人類学者さんの社会学系の授業。

美大は造形実習の授業が大半を占めているように見えるけれど、実際には英語や心理学の授業もあり、その単位取得も必須。
でもデザインの授業を担当する先生たちは(自分を含み)それらの存在を普段あまり意識していない。非常勤を含むすべての講師が揃う、年に一度の教職員会議も、その先生がたと一緒ではないし。
基礎教養系の授業は、デ系の先生たちにとっていわば「月の裏側」のような世界で、あまり立ち入らない。

のだが、美大で教え始めて十年以上経った先週、はじめて潜ってみたらとても面白かった! ので、今年は通年受講してみようと思っている。(もちろん中村さんの了解は取得済み)

年間のオリエンテーションにあたる最初の授業で中村さんは、アメリカでの生活体験など交えつつ、こんな話をしていた。

「『学生』ではなく、『Sutudent』として授業にのぞんでください。
日本語では『Sutudent』を『学生』と訳す。そこには『まだ社会人ではない』というニュアンスが含まれていると思うけれど、本来的に『Sutudent』は、年齢や職業・社会的地位にかかわらず〝あることがらに関心をもって、学びつづける人〟を指す言葉です。
『Sutudent』ということで、ひとつよろしく」みたいな。(意訳)

おー、いいじゃない! と思いつつ、自宅に戻って本棚を整理していると2010年の『美術手帖』が出てきた。「特集・佐藤雅彦」。その中ほどのページに、佐藤さんがこんな文章を寄せている。

「僕が教育をやっている大きな理由の一つに、ステュディオス(Studyの語源)という状態をつくり出したい、というのがあるんですね。
その意味は、熱中している状態、夢中になっている状態のことです。(中略)ステュディオスという状態は、『この世界に自分がいてもいい』という証なんです。
かつて夢中になった体験があれば、同じくらい自分を夢中にさせるものでないと、面白いと認めないので、それを具体的に求めるようになります。僕は夢中になれることと、この世界にいるということが、同じことだと思っています」

素晴らしい!(と思う)

さて。先生役としては、ついこうしたことを学生さんたち…もとい Sutudent の方々に「話し」たくなってしまうけれど、そうではなくて、ただ夢中に「なる」時間を、ともにつくり出せればいいんですよね。

by LW 2013/4/17

Living Worldをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む